#35 先生
この小噺はつくり話です。
小林賢太郎氏の作品にインスパイアされて書きました。一部のアイデア、固有名詞をそのまま使っています。出典は最後に書いてあります。
けけ氏は「つくる人」だ。毎日のように何やら楽しげなことを思いついては形にし、それを人々に見せてみんなを幸せな気分にしてくれる。だが、ずっとこんなことをしてきたわけではない。どうやってつくる人になったのか。けけ氏がなりたかったものは?小さい頃の夢は?けけ氏の過去を少し覗いてみる。
けけ氏は先生になりたかった。
彼が通っていた小学校では、担任の先生が毎年みんなに将来の夢を作文に書かせていた。
「はい。今年もみなさんの将来の夢を作文にしてもらいますよ。原稿用紙はありますね?」
「せんせー!何書けばいいの?」
「大きくなったらなりたいものを書いてくださいね」
「はーい」
低学年の頃は昆虫に夢中になっていた*けけ少年。将来は昆虫博士になるのが夢だった。毎日昆虫を採りに行けたらなんて幸せなんだと思って当時のけけ少年が書いた作文の一部がこちら。
「ぼくは大きくなったらこん虫のことをけんきゅうして、虫とはなしができるこん虫のせんせいになりたいです。ケムシさんとかとなかよくなれるとうれしいです…」
けけ少年が4年生になった頃だろうか。近所に大学生くらいのお兄ちゃんが引っ越してきた。引きこもりらしいスウェットしか着ないそのお兄ちゃんは、どういうわけだかけけ少年とはとても仲良くしてくれた。いろんな雑誌を見せてくれたり、彼の知らないことをたくさん教えてくれたりした。
当時、けけ少年の住む街には「名前を呼んではいけないあの生物」が住んでいて、その目撃情報が大いに話題になっていた。その怪獣のような謎の生物に興味を持ったけけ少年。どんな鳴き声なんだろう、吠えている時は何を訴えているんだろう、と興味津々だった。
「ね、ね、お兄ちゃん。アレさ、なんて言ってんの?お兄ちゃんわかる?」
「いやぁ、オレにもわかんねーよ。そもそも怪獣だしな」
お兄ちゃんもあまり詳しいことは知らないみたいだった。いつか、自分で調べてみたいと思うようになったけけ少年は次第に言葉というものに興味を持つようになった。
「ね、ね、お兄ちゃん。僕、例のアレを見に行きたいや。連れてってよー」
「お前、ほんとにアレが好きなんだな」
「うん。なんて言ってるのか知りたいしさ。ほら、見て。近くのキャンプ場で見られるんだって。雑誌に書いてあるじゃん」
「いやー、オレもさ今は就職活動とかで色々忙しいんだよ。お前ひとりで行ってみろよ。この懐中電灯やるからさ。ラジオもついてる最新型だぜ」
「え、いいの?かっけーな。よーし。じゃあ僕行ってみるよ。で、あいつらがなんて言ってるのか確かめてくる!」
その頃にはけけ少年の興味は昆虫から言葉に移っており、当然将来の夢も言葉に関するものへと変わっていた。その頃にけけ少年が書いた作文が残っている。
「ぼくは大きくなったら言葉の研きゅうがしたいです。自分が話す以外の言葉を勉強してみたいです。そのためにはまずしっかりと自分の国のニホン語を勉強しなくてはなりません。その後で外国に住んでニホン語を教えながら外国語を学べばいいと思います。アメリカやイタリア、中国とかアフリカの国にも行ってみたいと思います。そうしたらいろんな国の人が何を考えているのかが分かって面白いと思います。それから、人間以外の生物の言葉についても勉強したいです。はかせになって色んな言葉を研きゅうするのはきっと楽しいと思います…」
かくして自分が話す言葉や外国語を貪欲に学び始めたけけ氏。中学、高校では持ち前の好奇心でどんどん知識を増やしていった。夢中になるととことんのめり込むタイプの子どもだったけけ氏は、言葉を話す口や舌の構造にまで興味を持ち始め、やがてそれは人体への興味へと変わっていった。大学の受験を考える頃には彼の探究心の的は人体になっていた。さらにあろうことか、人間だけでは物足りなくなり、例のあの怪獣のような生物のことももっと知りたいと思うようになっていった。アイツは一体なんなんだ?なんて言っているんだ?知りたい。たまらなく知りたい。
こうなると目指すべきは医学部か獣医学部に限られてくるが、問題は入試だ。好きではない教科は全く勉強してこなかったけけ氏である。友人は驚きが隠せない。
「お前さぁ、まじで医学部受験すんの?」
「うん、まぁ一応」
「医学部って一応受験するとかそんなレベルじゃねーぞ」
「うーん、そりゃわかってるけど」
「で、お前数学とか物理とか苦手じゃん?」
「そーなんだよね。まずいかな?」
さすが友人。痛いところを突いてくる。
「まずいっつーか、それじゃ無理じゃね?」
「だよね…」
数学が苦手ではどうしようもない。自分の学力を見限ったけけ氏はあっさりと医学部進学をあきらめた。
けけ氏が医者になっていたらどんな医者になったのだろうか。今となっては想像するしかないが、人をおちょくることが大好きなけけ氏のことだ。きっと真面目な顔して患者さんと真面目にふざける愉快な医者になっていたのかもしれない。あるいはとんでもないヤブ医者か…。
さぁて、進路をどうするか?勉強は嫌いだが人体に興味を持ち、いろんな人をデッサンしまくっていたおかげで、けけ氏は自分には美術の才能があるんじゃないかということに遅まきながら気がついた。そして見事に方向転換し、美大を目指すことにしたのだ。人間万事塞翁が馬。人生何があるかわからない。
何もないところから作品を生み出す芸術に関わるということは、精神的にキツい時もあったけれど、楽しいことの方が多かった。
「まだ描いてるの?毎日遅くまで頑張ってるのね」
「あぁ、ごめん。もうちょっとで終わるから」
「しょうがないなぁ。待っててあげるわよ」
ステキなガールフレンドも出来て、美大ライフを満喫したけけ氏だった。
4年後、またしても壁が立ちはだかる。卒業後の進路だ。デッサン力はある。絵もそこそこうまい。ただ、これだけでは画家になるのは難しい。就職するのは尚更難しい。
「絵は描きたいけど、売れない貧乏画家ってのもなんだかなぁ…。オレより絵がうまいやつはたくさんいるし。何か食っていける方法はないものか」
そこでひらめいたのが、以前から興味があった言語。これを使えば今からでもなんとかなるんじゃないか。運良く海外でニホン語を教える教師の職を得て、しばらくはアメリカやイタリア、中国やアフリカの国々で教えることになった。けけ氏、とても多才な人である。小学生の頃に思い描いていた「先生になる」という夢が図らずもかなったのだった。ニホン語を教えながら、世界各地の言語や文化に触れて様々な経験をたくさんしてきたけけ氏の中に、面白いものが降り積もる雪のようにどんどん重なりあっていった。やがてそれらはけけ氏の中で混ざって馴染んでさらに面白いものへと変化していった。
数年間の海外生活の後に帰国したけけ氏は、彼の持つ膨大な知識を買われて、大学で講義をすることになった。テーマは幻の生物カ◯ギリや雑学の数々。本も出したし、たくさん実験もやった。万能ネギはどこまで万能なのかを調べたこともあった。非常勤講師であったにも関わらず彼の講義はユニークで人気があった。大晦日まで授業をやったくらいである。
生徒がとにかく笑ってくれる。自分の話を面白がって聞いてくれる。けけ氏の中からは次から次へと色んなアイデアがわきあがってくる。面白いもの、不思議なもの、そして美しいもの。これらをきちんと形にしてもっと多くの人に伝えたい。
ギアチェンジするなら今だ。
やがてけけ氏は大学を辞め、短い期間だけ会社員生活を送った後に自分のアトリエを構えた。自分が創りたいもの、自分が面白いと思うものを形にして人々を楽しませるクリエイターへと変身をとげた。見事なメタモルフォーゼ。さすが昆虫好きのけけ氏である。
ぬかりはない。
*#32けけ氏は虫がお好き 参照
出典
DROP 椅子落語
カジャラ#4 在宅超人スウェットマン
カジャラ#1 頭蓋骨
カジャラ#1 野生のヤブ医者
Rahmens NEW JAPANESE SCHOOL
零の箱式 現代片桐概論
DROP コミヤヤマ
Potsunen 先生の電話