#29 自転車
この小噺はつくり話です。
小林賢太郎氏の作品にインスパイアされて書きました。一部のアイデア、固有名詞をそのまま使っています。出典は最後に書いてあります。
エコなけけ氏はクルマを所持していない。出かけるときは自転車に乗っていく、彼は子どもの頃からずーっと自転車が大好きだった・・・。
どういうわけだかけけ氏は小さな子どもの頃から自転車に並々ならぬ興味を示していた。幼稚園に入る前、近所の子どもたちは皆三輪車に乗って公園へ遊びに出かけていたものだった。ところが、けけ氏は三輪車を断固として拒否。どうしても自転車に乗るといってきかなかった。当然、うまく乗れるはずもなく、ペダルを漕ぐというよりは足で地面を蹴って進んでいたのだが、それでもご満悦のけけ氏。三輪車の友達を軽々と追い越し、毎日公園へ誰よりも早く到着していた。三輪車では味わえない、頬を撫でる風が心地よかったのだろうか。
「ねぇ、けけくんは大きくなったら何になりたいの?」
公園で一緒に遊んでいる友達のお母さんに聞かれると、けけ氏は決まってこう答えていた。
「んーっとね、ぼくね、じてんしゃになるの!」
正義のヒーローでもなく、電車の運転手でもなく、自転車???
当の本人はいたって真面目である。これだけ大好きな自転車になれればどれほど幸せか、考えただけでワクワクしてくるのだそうだ。
「ああ、そうなの。なれるといいわねぇ・・・」
お茶を濁す大人を尻目に、けけ氏は元気よく自転車にまたがっていた。
小学校に入って行動範囲が広がると、けけ氏の自転車の乗りっぷりにも拍車がかかってきた。誰が一番、自転車で遠くまで行けるか、という競争をして、夜通し自転車を漕いで丘を越えて、次の丘もそのまた次の丘も越えて知らない街まで行ってしまった事もあった。翌日けろっとした顔で帰ってきたけけ氏を待ち構えていたのは烈火のごとく怒った母親と交番のおまわりさんだった。
「どこまで行ってたの?心配したのよ!まったくこの子ったら・・・」
「ボク、よく一人で帰ってこられたねぇ。みんな心配してたんだよ」
「むちゅうでじてんしゃこいでたらたのしくなっちゃって・・・だって、もうね、ぼくじてんしゃとひとつになってたんだよ!」親の心配をよそに冒険を楽しそうに語るけけ氏。これは大物に・・・なるか?
ところが、である。当然のことではあるが、どれだけ毎日自転車に乗ってもけけ氏は自転車にはなれなかった。幼稚園、小学校、中学校と月日は流れたがけけ氏はけけ氏のままであった。どうしても自転車になりたかったけけ氏。自転車部というのが地元の高校にあるということを聞きつけて、その高校を目指すことにした。そこで頑張れば自転車になれるのではないか。期待を胸に受験勉強に励み、見事合格。晴れて自転車部の一員になった。通学はもちろん自転車。さらに部活で自転車に乗るという自転車三昧の日々を送るけけ氏。いつか自転車になれる日を夢見て日々努力を重ねた。
けけ氏の住む街では、毎年大きな自転車のレースが行われている。市内の大通りを封鎖して周回コースを作り、自転車が爆走するのである。海外の著名な選手も参加し、至近距離でレースが見られるとあってなかなかの人気であった。当然、けけ氏も学校を代表してレースに参加。ところが、当日身一つで選手登録しようとしたところ、あえなく拒否された。それはそうである。自転車はどうしたのかと聞かれ、はい、僕が自転車です、などという選手が受け入れられるはずがない。だいぶ時間がかかったが、ここへきてようやくけけ氏は自分が自転車になれないことを悟ったのであった。叶わぬ夢などないという人もいるが、自転車になるというけけ氏の夢はあまりにも現実離れしていた。けけ氏、もう少し早く気づくべきだったのでは・・・?
自転車になれなかったけけ氏は、高校生最後の夏休みに旅に出た。あれほどなりたかった自転車になれなかったのだ。こうなったらとことん自転車に乗って、本当の自分を探しに行こうとしたのだ。荷物を自転車にくくりつけ、日本を一周した。自転車にはチャリ彦という名前までつけた。親切な地元の人に泊めてもらったり、ご飯をご馳走になったり、ビルの屋上で野宿をしたり。自分は何者なのか、何がしたいのかを探す日々。ひょんなことから知り合った男性2人と一緒に飛行機を作って飛ばす、なんてことまでやってのけた。見知らぬ人と飛行機を作るという共同作業を通して、どこまで行っても自分は自分でしかないことを発見し、無事に旅は終了。長らく旅を共にした自転車は飛行機の材料にされ、ナットだけになってしまったし、自分はとうとう自転車にはなれなかったけれど、チャリ彦と旅をしたという素晴らしい思い出が残った。少しだけ大人になったけけ氏は新しい夢を探すことにした。
大学は美大を選び、絵の勉強を始めたけけ氏。もともと画力はあったのだが、自転車を諦めたことで自分は絵が好きだということを再発見したのだった。大学へは真新しい自転車で通学。帽子を被り、黒い大きなバッグを斜めがけにして颯爽と大学へ向かう。雨の日も風の日も、暑くても寒くても自転車に乗る日々。大学ではちょっとした有名人になった。あぁ、あの帽子に黒い鞄のコでしょ?いっつもチャリ漕いでるよね?とまぁこんな具合。
どう頑張っても自転車にはなれなかったけれど、けけ氏には特技ができた。自転車がなくても自転車に乗っているように見えるパントマイムが恐ろしくうまくなったのだ。また、変な被り物を被り、自転車でグルグル回り続けるという謎の芸まで生み出した。学園祭などで披露すると投げ銭が飛んでくるほど、プロの大道芸人も顔負けの腕前だった。
子どもの頃からの夢は叶わなかったけれど、チャリ彦という心の友、美大進学、芸人の腕など、けけ氏は今では様々なものを手に入れることができた。人間万事塞翁が馬、「バンウマ」とはこのことである。今日もどこかでけけ氏はチャリ彦とともに自転車に乗っていることだろう。今でも自転車に乗ることを心から楽しんでいるのだ。
実はカードマジックも得意なけけ氏。使っているカードはもちろん『バイシクル』社のものである。
出典
DROP 椅子落語其ノ三
KAJALLA#4 怪獣たちの宴
KAJALLA#2 オフィス4丘を越えゆこうよ
KKP#5 TAKEOFF
KKTV#1 ショーウィンドウ
ALICE 風と桶に関する幾つかの考察
KAJALLA#2 毒と鍛冶屋ら
KKTV#7 お題コントドキュメンタリー